☆     〝存亡の機〟という考えは?_

 横田滋さんが亡くなった後に息子さんの記者会見があり、未だに拉致問題の解決の見通しがつかないことについて一部の政治家やマスコミの責任に触れているのに、その部分をTVも新聞もカットしていて、もしネットでの情報がなかったなら知らないままでいたのだろうと、インターネットが普及する以前のマスコミの横暴さといかがわしさに思い至るのでありますが、当事者はその頃の意識が抜けきらなく〝謝罪〟だなんて言葉は脳裏に思い浮かべたくないのかもしれない。 〝存亡の機〟という考えはないのでしょうか。

 新聞の勧誘を断り切れなく購読を契約した者に、何を読みたいのか訊いたら「お悔やみ」欄ということだった・・・。 確かに年寄りにとっては一番の興味事項なんだろうけど、発行部数のかなりの数がその程度の読者に支えられていると考えたらいいのではなかろうか。

 ちなみに、冠婚葬祭事で騒ぐのが嫌とか諸事情で、死亡届を出す時にメディアに公開されないようにすることも出来るわけだけど、新聞のお悔やみ欄がすべてと思っている人が結構いるようです。

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