テーマ:俳句

☆     勘違いから  「夏の河・・・」_

 一昨日に述べた「炎天の遠き帆やわが心の帆」の他にも山口誓子の句には「夏の河赤き鉄鎖のはし浸る」や「海に出て木枯らし帰るところなし」など好きな句が多くあるのだけど、実は俳句に興味を持ち始めた頃には、「夏の河・・・」の名句を、山あいの濃い緑を反映している夏の河と赤い鉄錆(クサリではなくてサビ)に覆われたひなびた橋の色彩対比と受け止めて、懐…
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☆       「炎天」_

 猛暑が無かったら夏らしくないではないかだなんて強がっていたけど、さすがこれほど続くとうんざりしてくる。 今日なんて我が地方はとんでもなく暑くなりそう・・・。 夏と言えばこれ!というフェニックス花火も関屋記念も楽しめなかったし、悪い意味で記憶に残りそうな夏だ。   「炎天翔けいま地に黒衣修道女」 中島斌雄  「炎天やもう汗の出ぬ老婆…
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☆     万緑_

 夏至が過ぎたばかりだというのに、これからだんだん日が短くなってくると一抹の寂しさが兆してくるくらいで、いかに今の季節が好きかということなんだけど、樹木の下で空を見上げ重なり合う緑の木の葉が風に揺らめく情景を思い浮かべるだけで心穏やかな気持ちになることができます。  「樹下に立つ 指先に緑がしたたるか」 朗乱
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☆    季節の俳句_

蜜柑 『 かの婦人 蜜柑むく指の繊かりしが 』 安住敦 『 爪入れて蜜柑匂わす未婚なほ 』  三好潤子 寒さ 『 うしろ手に閉めし障子の内と外 』  中村苑子 中村苑子には他にも  『 一度死ぬ ふたたび桔梗となるために 』 『 鈴が鳴る いつも日暮れの水の中 』  など「結界」という言葉が思い浮かぶ精神的に深く掘り下げた句が多く…
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☆     秋愁い_

 河口近くの汽水域の暮らしに憧れていたのが津波被害を見て考えが変わり、首都圏に近く温暖な気候を羨ましく思っていた房総地区には猛烈な台風が襲いこれは銚子半島以南の太平洋側では今後も大いにありうることと覚悟しなければならないし、かといって日本海側の雪国の暮らしも冬の道路事情を考えるとうんざりするし、巨大地震が言われている地域での怯えながらの…
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朝顔につるべとられてもらひ水___

 分かりやすくて一般によく知られている有名句ながら、どうも説明されているようで好きではなかったのだけど、作者の加賀千代女自身が後年『朝顔やつるべとられてもらひ水』と詠み直していたことを知って、なるほど、一文字変えただけでこれほど良くなるものかと俳句における切れ字の役割に感心したのであります。 『古池に蛙飛び込む水の音』にするとただの説明…
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    雹(氷雨)は夏の季語_

 「氷雨」という歌謡曲の歌詞に〝外は冬の雨まだ止まぬ〟とあるようにイメージとしては寒々しいものがあり、俳句で夏の季語と知ってはいてもいまひとつ気持ちが馴染まないのだけど、『雹晴れて豁然とある山河かな』この村上鬼城の句は大好きでして、暗雲に覆われた空から災いが音を立てて落下してくるように雹が降り注いだ後の晴れ間に、清冽な水と澄み切った空気…
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   「疲れて戻る夜の角のいつものポストよ」__

  種田山頭火三十四歳の時の句で、この頃は図書館に勤務していて街中での暮らしだったのだがどこか孤独感や寂寥感が漂っていて、職場や家族というのがこの俳人にとっては重荷だったのかもしれないと思わせるように、やがて放浪の旅に出て「分け入っても分け入っても青い山」や「うしろ姿のしぐれてゆくか」という句が作られることになる。
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  花衣ぬぐやまつはる紐いろいろ_

 高浜虚子に「清艶高華」と評された杉田久女の句ですが、毎年今の時期になると思い浮かぶ、季節の落ち着かない華やかさ、それに気怠さ艶めかしさまである女流俳人なればこその作品です。
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         酒癖

 『こんなよい月を一人で見て寝る』 自由律俳人の尾崎放哉の句だが、この人はエリートコースを歩みながら病気などもあってそれまでの裕福な生活を投げうち仏門に入り托鉢生活を始めたが、酒癖が悪いせいで周囲との軋轢も多かったようで極貧のなか小豆島で亡くなっている。     上掲の句や『咳をしても一人』など孤独の寂しさを色濃く滲ませてはいるが、…
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   木の葉ふりやまず いそぐないそぐなよ

 村上鬼城に私淑した加藤楸邨の句だが、心に焦りがある時にこの句をつぶやくと、五七五の定形ではない〝いそぐないそぐなよ〟が気持ちを落ち着かせてくれまして、あらためて俳句というものの奥深さを認識させられます。   文学で一文字当たりの価値の濃密さを量ったら俳句がチャンピオンだ。
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‥‥‥‥ 冬蜂の死に所なく歩行きけり

  毎年寒くなる時期になるとこの句が思い浮かぶのだけど、江戸時代末期に鳥取藩士の長男として生まれ近代日本の礎を築く官吏になるべく法律学校で学ぶも耳の疾患でそれを断念したという作者の村上鬼城は、鋭利な感性で自然界の現象や動物の生命を観察し五七五に謳い上げている。  他にも ・雹晴れて豁然とある山河かな ・小春日や石を噛み居る赤とんぼ…
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     「夕日が来て枯向日葵に火を放つ」

 1972年に73歳で没した三橋 鷹女 の句だが、老いに抗う気持ち・・・ というよりも情念、これがひしひしと伝わってきて、 「白露や死んでゆく日も帯締めて」の句と合わせて鑑賞すると、きっとこの人は老いに抗いながら完全燃焼するという悔いのない一生だったのだろうと思わせられる。   この凝縮した少ない文字数で密度濃く感情や状況を表現する俳句…
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